立命館大学の琵琶湖草津キャンパスなどで、39年間、平和学系の科目を担当してきましたが、“Bridge for Peace”(平和への架け橋)というNPOを創設された神 直子さんの活躍を新聞で知り、ゲスト講師としてお招きしたのが2011年のこと。以来13年、「現代平和論」の大切なゲスト講師としてほぼ毎年、お招きしています(2年前からホスト役は、中野克彦講師に替わりましたが)。
受講生の間では神さんの人気は抜群です。なぜか。神さんは、自分の人生を教材として提供し、「平和の絆を結ぶため、私でも何かできそう」という気にさせる人。ガンジーが称賛したような〝My Life is My Message“の人だからです。
最初の頃は、新婚早々の浅井久仁臣さん(私と同世代の中東方面の報道写真家)と一緒に来られ、講演を分担されることも多かった。2013年のこと。当時、神さんは一粒種のトシ君を腹に宿し、臨月の状態。そこで夫君の浅井さんが代講され、中東方面の平和構築のスピーチをされ、話は佳境に入っていました。そこで突然、携帯電話が鳴りだした。「陣痛が始まった」という神さんの知らせが届いたのです。浅井さんは何とか講演を終え、岡崎の産院にトンビ帰りされ、浅井さん66歳にして待望のトシ君の誕生となりました。
その後、神さんは立命に来られる際に、トシ君を同行されることが多くなります。彼は好奇心の固まり。神さんの講演の障害とならぬよう、周辺の空き教室の探検に彼を誘うのが私の任務となりました。トシ君は今や小学6年生。徳川時代260年の平和の秘密をディープに探る「竹千代チャンネル」に出演されていると聞き、成長ぶりに瞠目しています。
神さんは、立命館出身の学徒兵の証言を集める仕事もされてきた。とりわけ立命館理工学部の前身の「立命館日満高等工科学校」学生だった村上辰雄さんの証言にもとづくビデオ録画作品は圧巻です。
村上さん曰く。当時の立命館の学生全員は、御所滞在中の天皇を護衛する「立命館禁衛隊」に組み込まれるなど、立命は、日本でも有数の軍国主義鼓吹の学園であった。とくに衣笠キャンパスに創設された日満工科学校の実態は武器製造工場に近かったこと。村上さん自身は中国戦線で間諜(スパイ)役を務めるなど、工科学校出身者は危険な特殊任務に就く傾向が高く、仲間の死亡率は8割に達した、と。
確かに私が調べた限りでも、先のアジア太平洋戦争に際して、立命館学園は3149名の学生を兵役で休学させ、その結果、35%にあたる約千名の学生が大学に復学できなかったことが判っています。お隣の京都大学のばあい、学徒兵の戦死率は2割を切っていますので、当時の立命館の体質の異常さが浮き彫りになるように思います。
受講生の数は400名、うち半分は理工系の学生です。75年前の先輩たちの過酷な体験に、彼らはくぎ付けとなります。神さんの講演は、戦間期の立命館の裏面史を鮮やかに描き出すことで、受講生の胸に確実に刺さっていると感じます。
(本稿の要約版が2024年8月発行のブリッジフォーピースの冊子に掲載されました。原文は https://for-good.net/project/1000969 )