2024年7月13日の午後、大阪経済大学で開かれた「偲ぶ会」は心温まる集いでした。宮本憲一、池上惇、二宮厚美さんなどとも、懇談できました。
重森先輩はリベラルアーツの本場たる京都大学文学部の出身で、5年の年長。平和創造のカギは弁証法の自在の活用のパワーですが、この弁証法を人格化しようとされた温厚な人でした。1970年代の初頭に京大経済の大学院で出会い、1980年生まれの次男に「暁」という名前をつけたほどに、私淑していました。
当時私は、「革マル派」など「マルクス・レーニン主義」を奉じる諸潮流の限界を自覚し、これをいわば「マルクス・レノン主義」の方向に改善させたいと願い、模索していました。「マルクス・レノン主義」とは、マルクスの潮流をジョン・レノン(やガンジー)の流れと統合しようとして、私が創った造語です。そのための鍵は、資本主義の土台の上でも、民主主義的権利を駆使できれば、一定の範囲内では民衆が「統治主体」に発達し、平和的な形で体制変革を行いうる「手がかり」を掴みうるのか、どうかです。民主主義的権利、とりわけ、「働きつつ探究し、表現する」権利を獲得できたならば、「非暴力的な変革」も可能だ、そのためには人間発達を支える社会経済基盤・インフラを築き上げることがカギだと説くのが、「人間発達の経済学」の「肝」です。このような「経済民主主義の経済学」を作ろうと私を誘い、基礎研運動に導いてくれた恩人の一人が重森先輩でした。感謝します。
(『人間の発達を信じ、正義の人生を貫く 故重森暁先生追悼文集』所収の拙稿を一部補正、2024年7月15日)