藤岡 惇
私は、京都の立命館大学で41年間、「平和の経済学」を担当してきました。2年前に特任教員をリタイアしましたが、今も若者を相手に「平和と健康と幸せ」研究を講じることができ、幸せです。
木村さんとの付き合いは、20年ほど前に長崎の地で始まりました。当時私は、毎年8月になると、アメリカン大学の歴史家のピーター・カズニックさん、広島の被爆者の近藤紘子、カナダの乗松聡子さんとともに、スヌーピーの犬の旗を掲げて、日米の学生40名ほどを引率し、京都・広島・長崎を回る「原爆学習の旅」をおこなっていました。長崎では、長崎平和研究所を設立された鎌田定夫さんのお世話になっていたのですが、その関係で、木村さんと出会ったのです。「トルーマン政権は広島への投下からわずか中2日で、なぜ異なるタイプの原爆を、庶民の上に投下したのだろうか」、「実験材料=モルモット扱いされたのではないか」と説く木村さんのクリアな論旨に、私たちは魅せられました。ピーターの持論とも近く、木村さんは、自然と長崎での旅行団の定番の講師となられました。
被爆60周年の2005年には、私たちの長崎訪問にあわせて、長崎平和研が西嶋有厚さん(福岡大学)とピーターとを講師に「原爆がなぜ投下されたのかーー日米歴史学者シンポ」を開催。2009年になると、「なぜトルーマン政権は2発目の原爆を長崎に投下したのか」というテーマで、私たち旅行団が市民開放講座を開き、木村さんとピーターに講演してもらいました。木村さんが編集の労をとられ、当日の成果は木村朗・ピーター・カズニック著『広島・長崎への原爆投下再考――日米の視点』(法律文化社、2010年)という本になりました。
2011年8月には、この本の普及を兼ねて旅行団の主催で再度、「市民講座」が開かれ、長崎被災協議会の地下大会議室が一杯となりましたし、2013年には、ピーターが映画監督のオリバー・ストーンを伴って来日し、長崎でも市民講演会が開かれました。このようなイベントの成功に、木村さんは大きな役割を果たされました。感謝にたえません(なおアメリカン大学との共同開講のこの科目は、2年前に明治学院大学の高原孝生さんに引き継がれ、今も存続しています)。
木村さんは、退官後は沖縄に移住され、新天地で新たな課題に挑戦されるとのこと。願わくば、「生き生きした直観と豊富な実証資料」とを結びつける立場から、問題提起されてきた「宿題」への取り組みを再開してほしいと思います。まず第1は、「原爆投下をめぐる論争史を総括する決定版」を完成させてほしいこと。第2に、あの9・11事件から19年が経ちました。この間に実証資料も大量に生まれましたから、「戦略」と「謀略」の間を埋め、「9・11陰謀説」をめぐる論争を総括してほしいと思います。第3に、次の核戦争はどのようなものとなるのか。核戦争を阻止するには、どうしたらよいのかというテーマにもアプローチしてほしいです。木村さんの馬力に期待します。
(『木村朗 退職記念文集』2020年3月に寄稿、22年1月に一部補充)