立命館大学における「平和学系の教養科目」28年の歩み

――1984年から2011年まで 

藤岡 惇

はじめに

 立命館大学が付設する国際平和ミュージアムは、1992年5月に開設されたので、2012年5月に開設20周年を迎えた。これを記念して、『立命館大学国際平和ミュージアム20年の歩み』が、2012年4月に発行された。私は、この記念誌の編集委員長を務めたが、同時に、立命館大学の平和学系の教養科目の開設以来28年間の歩みを記録する論考を、この記念誌の1つの章として寄稿した。他に同様の文書がほとんどないため、立命館大学における平和教育の歩みを記録として残しておく意味もあり、私の文責で執筆されたこの論稿を採録させていただく。

第1期(1984 ―1993年度):一般教育特講「軍縮と平和」(4単位)の時期

 「平和学」とは、①戦争・紛争の原因を解明する、②平和の実現の条件を探る、という2つの使命をもった学問です。ヒトの心身の健康の回復が「医学」の目的であり、目指すべき価値だとすれば、社会における健康の回復こそが「平和学」の目的であり、目指すべき価値だといえるでしょう。その意味では平和ミュージアムとは、細分された「分科学」の担い手たちが集い、過去の戦争と暴力の犠牲者の前で頭を垂れ、「分科学」の細分化・脱価値化の動きに抗し、「自然と社会の健康な関係」を取り戻し、「健康な社会」づくりのために学問を役立てようと「ヒポクラテスの誓い」をたてる場であり、「つながりを取り戻す」「もやい直しの場」であり、「社会の病的関係を癒すための霊感と勇気とを獲得する空間」だといってよいのかもしれません。
 「平和と民主主義の具現」という教学理念を掲げてきたにもかかわらず、立命館大学の全学共通科目(教養科目)には、このような「平和(学)系の科目」が長い間、ありませんでした。1981年にソ連との核戦争も辞さないという米国のレーガン政権が登場して以来、ようやく危機意識が学内でも高まり、1984年度から「軍縮と平和」という新科目が一般教育特講(4単位)として、2回生を対象として3クラス(1部=昼間部に2クラス、2部=夜間部に1クラス)開講することが決まったのです。当時の立命館大学には、法・経済・経営・産社・文・理工の6学部があり、すべて衣笠キャンパスに集まっていたのですが、これら6学部から選ばれた5-6名の専任教員が、「私の戦争体験」「科学技術と戦争」「戦争と経済」「日米安保条約論」「軍縮と反戦・反核運動」といった主題を分担するかたちで、リレー講義を行うことになりました。
 87年からは、担当者確保の難しさに妥協して、2クラス開講(1部・2部とも各1クラス、4単位)に後退します。1・2部をあわせた受講者数は、1984度は763名、1985年度は679名、86年は659名。1クラス減となった87年には受講生数が829名、88年度は1220名と逆に増え、文字通りの過大講義となりました。88年度のばあい、全学の2回生総数の4900名のうち、1220名が受講しましたから、受講率は25%だったことが分かります(詳しくは藤岡 惇「一般教育特講『軍縮と平和』を担当して」『一般教育研究』24号、1988年10月、立命館大学一般教育センター刊行、36―55ページを参照)。

第2期(1994―2003年度):「平和学」(2単位)の時期

 1992年5月には、待望の国際平和ミュージアムが開設され、その2年後の94年度に、全学的にセメスター制(6か月の学期制、うち授業期間は4か月)が導入されます。これに伴い、1部に配置された「軍縮と平和」(4単位)は、「平和学」(2単位)へと名称変更され、法・経済・経営・産社・文学部の1回生以上を対象に5クラスが設けられ、社系・文系・理系の3名の専任教員がリレー講義することになりました。
新設の国際関係・政策科学の両学部については、専門科目のなかに平和学系科目を組みこむという方針をとったため、教養科目としての平和学は履修できなくなりましたので、ここでは割愛します。
 94年度になると新キャンパス(琵琶湖草津キャンパス、BKC)が開かれ、理工学部がBKCに移りますが、専門教育重視という当時の時代風潮に加えて、平和学を担当する教員の不足という事情もあり、BKCでの開講は断念せざるをえませんでした。その結果、教学理念を体現する平和系科目を受講する機会のないまま、学業を終えざるをえないという事態が、理工系学生の間では94年から97年度まで4年間続くこととなりました。
 平和学の単位数が2単位と半減したことの穴埋めとして、95年度・96年度には、「平和創造の道」(2単位)という特講が開かれましたし、95年度から平和学の野外調査・実習科目として「国際交流セミナー」科目がこれまた特講扱いで、設置されもしました(この点は後述)。
 2部(夜間部)に1クラスだけ配置されていた「軍縮と平和」(4単位)は、セメスター制の導入により、94年度に「戦争の政治経済構造」「現代の危機と平和創造」「戦争責任と平和運動」という3科目に分割されますが、その後の変遷は複雑であり、受講生も大幅に減少しましたので、以下では1部(昼間部)に限定して、その後の変化を追ってみます。
 先に平和系科目には、①戦争・紛争の原因の解明と②平和実現の条件の解明の2つの使命があると述べましたが、平和学(2単位)に移行したために、①の側面の解明、とくに15年戦争の原因と教訓の解明が手薄になったことは否めません。ただし開設された平和ミュージアムには世界中から優れた研究者・実践家が訪れるようになりましたし、学部新設に伴い、新進気鋭の研究者を迎えることができたことも追い風となって、②の側面にかんしては、従来以上に充実した講義が可能になりました。
 他方第2期に入るころから、当時の文教政策の影響をうけて、学士課程教育における教養教育(全学共通の普遍・基盤教育)が軽視され、教養教育から専門・大学院教育の方に専任教員の関心が向くという傾向が立命館でも明確となり、平和学を担当する講師陣の確保が難しくなってきました。1998年度以降、平和学の開講クラス数は5から3に減るとともに、非常勤講師依存率が高まっていくのは、そのためです。
 当時は、平和学の担当者をどういう手続きで誰が決めるのか、専任教員だけで担当できない場合は、誰が、どのような資格で非常勤講師を見つけてくるのかといった基本的なルールさえ明確になっていませんでした。4月開講を控えた1月末になって、見るに見かねた旧担当者が非常勤講師の候補者を探してきて、4月からの開講に間に合わすといった「離れ業」が常態化していきます。この時期に平和学担当者中の専任率は0-20%台まで低下しますが、その後も改善されることなく、現在に至っています。
 1998年に経済・経営の両学部がBKCに移転しますが、おかげでBKCでも「平和学」を1クラス開講できるようになり、理工系の学生にも平和系科目を学ぶ機会が戻ってきました。
 2000年度から国際関係学部・政策科学部に次いで法学部も、「学部の専門教育の基礎を固める必要」を理由にして、平和学を学部専門科目に移します。そのため同年度以降、衣笠での「平和学」については、産業社会・文学部を対象に2クラス開講することとなり、担当は若干名の非常勤講師に任されることになりました。
 教養科目の「平和学」を受講できる学部に限りますと、2000年―2002年頃は、学生のうち20%-30%が「平和学」を受講していたと推定されます。逆に言いますと、これらの学部では、7-8割の学生は、教学理念を体現する平和系の科目を履修せずして、立命館大学を卒業したことになります。そのうえ平和学は2単位科目となっていましたから、受講できた学生であっても、学習量は第1期の半分に減ったことになります。

第3期(2004―2007年度):2科目の名称を変更した上で、3回生以上に配当した時期

 第2期には、戦争の原因の解明が弱まったという反省から、2004年度から「戦争の歴史と現在」という科目が新設され、同時に「平和学」は「平和と人間の安全保障」に改称され、衣笠・BKCで、両科目とも各1クラスが開かれることになります。BKCでは3-4人の講師陣(うち専任教員は1人のみ)のリレーで、衣笠では1人の非常勤講師に委ねるかたちで運営されました。
 他方配当年次が、1回生以上から3回生以上に変更されました。そのため、2回生までに教養科目を履修し終えた学生の間では、平和系科目を受講しようとする動機が弱くなり、受講者数が伸び悩み、カラ登録(登録しても履修はしない)が増えるようになりました。じっさい2006年度の「平和と人間の安全保障」と「戦争の歴史と現在」の受講生数は両キャンパス計で1234名、受講可能学部の3回生総数は5000名ですから、受講率は24.7%、カラ登録を考慮すると、実質的な受講率は20%余りだったと思われます。
担当者の専任比率は、第2期と同様に2割程度に留まりましたが、科目の基本担当者(コーディネイタ)が特定されるようになり、責任体制のあいまいさを克服する手掛かりが生まれてきたのは前進面でした。

第4期(2008―2011年度):改善へのUターンが始まる

 08年度からの教養教育改革の一環として、「平和と人間の安全保障」は「立命館で平和を学ぶ」に改められ、1回生以上が受講できるようになりました。この改革にあわせて、09年度から衣笠についでBKCでも、2クラス開講できるようになりました。もう一つの「戦争の歴史と現在」については、3回生以上への配当で1クラス開講という体制が続きます。
 2010年の「立命館で平和を学ぶ」の受講生数は1052名、2011年度には1117名となり、受講可能学部の新入生のうちの22.3%、22.9%が受講するようになります。前身の科目(平和と人間の安全保障)の2007年度の受講生数は540名でしたから、この間に受講生数は2倍に増えたことが分かります。「戦争の歴史と現在」の受講生も加えますと、全学生の30%程度が平和系2科目のうち一つ以上を履修できる状況になったと評価できます。なおBKCでは、09年度からスポーツ健康学部の学生が、2011年度からは情報理工学部の学生が、衣笠では映像学部の学生が「立命館で平和を学ぶ」を受講できるようになりました。
 ただしBKCの創設は、BKCで学ぶ学生をミュージアムから空間的に遠ざけ、BKC学生のミュージアム入館率を激減させることになりました。立命館の学生、とりわけBKC学生の入館比率を引き上げるには、どうしたらよいのかが、ミュージアム関係者の間でくりかえし議論されてきましたが、BKCの平和系科目の受講生にミュージアムを参観してもらい、その成果をレポートにまとめ、提出してもらうという方策が、もっとも効果的だということが分かってきました。そのため第4期に入ると、BKCの平和系科目では、授業期間中に1回は、国際平和ミュージアムを参観し、もう1回は、ミュージアム主催の特別展(たとえば「世界報道写真展」)を参観し、つごう2回のレポートを書くように受講生に求めるようになりました。
 2010年度のBKCの事例を紹介しますと、この年に開講した「立命館で平和を学ぶ」の2クラス、「戦争の歴史と現在」の1クラス、経済学部の専門科目「平和の経済学」1クラスでは、平和ミュージアムを訪問し、レポートを書くようにという課題が出されました。衣笠・BKCを含む本学の全学生のなかで、2010年度中にミュージアムを参観した学生の平均的な比率は7.9%でしたが、BKCに立地するスポーツ健康科学部のばあい、この比率は10.5%、経済学部のばあい6.5%、経営学部のばあい4.0%、理工学部のばあい1.2%という結果でした。ミュージアムおひざ元の法学部学生の参観比率は4.1%ですので、レポートを課したおかげで、スポーツ健康学部・経済学部では法学部を上回る比率の学生が、経営学部では匹敵する数の学生が、ミュージアムに入館し、参観してくれたことになります。
 BKCの受講生は、衣笠にいやいや行かされ、レポートを書かされたのではありません。「衣笠にこのような素晴らしい施設があるとは、知らなかった」、「戦争と平和の問題を深考するうえで、またとない機会となった」、「この科目をとっていない友人にもミュージアム訪問を勧めたい」等々。参観レポートの執筆経験を肯定的に評価する受講生が圧倒的に多いのです。
 ミュージアム主催の「特別展=世界報道写真展」がBKCで開催されるばあい、特別展に入場し、参観レポートを書くようにという課題をBKCの平和系科目の受講生に課すことが多いのですが、その際も同様の肯定的な反応が噴出します。世界の現実と深く触れ合う体験は、BKCにあっては乾燥した大地に降り注ぐ慈雨のごときもの。BKC学生の心に沁みこんでいき、彼らを震源にして、友人・知人に感動の渦が広がり、参観者総数を引き上げる原動力となっているのです。おかげでBKCの立命生入場者数は、2010年度になると衣笠の立命生入場者数を上まわるに至り、2011年度には衣笠の1.31倍に達しています。

第5期(2012年度―):2科目ともに1回生配当科目に

 2012年度から教養科目のさらなる改革が行われ、第7分野として「 平和と民主主義」が新設される予定です。第7分野には5つの科目群が集まるのですが、そのうち「平和学入門」(「立命館で平和を学ぶ」を改称)、「戦争の歴史と現在」、「国際平和交流セミナー」(今次改革で、特講から常設科目に格上げ)が、平和系科目の3本柱となります。
 特筆すべきことは、「戦争の歴史と現在」を含めて、3科目とも1回生配当となったことです。1回生配当となれば、受講可能学部の学生中の受講比率は35%程度まで上昇する公算が強いと思われます。BKCからミュージアムを参観する学生の流れが、いっそう大きく広がってほしいものです。
 ただしこのご時世ですから、両科目とも受講希望者が定員を大きく上回り、抽選にはずれて受講できない学生が激増する可能性もあります。平和系分野の専任教員の増員とクラス数増が求められるところです。理工系学部に多いのですが、形の上では平和系科目の受講が認められていても、専門科目中心のカリキュラムが牢固として組まれており、じっさいには受講できないというケースが少なくありません。学士課程における教養教育の普遍性・基盤性を軽視しない改革が求められます。

現場を旅する体験科目  ― 国際平和交流セミナーの18年間

 1995年は第2次大戦終結50周年という節目の年でした。これを記念して、1995年夏から一般教育特講「国際交流セミナー」(中国プログラム、韓国プログラム)が始まり、97年度からは「世界の学生と広島・長崎を旅するプログラム」も加わりました。過去には、アメリカ・プログラムや台湾プログラム、沖縄プログラムが開かれたことがありますし、フィリピンやベトナムを訪れるプログラム、さらには国連平和大学のあるコスタリカやブータン王国を訪れるプログラムが提案されたこともあります。
 平均すると毎年3つ程度のプログラムが開かれ、70名ほどの受講生が現場を旅するなかで、平和を求める歴史と文化の呼びかけに心身を曝し、平和探求の目を磨き、友情を育んできました。プログラムの準備過程でミュージアムが活用されるだけでなく、参加者の間から学生ミュージアムスタッフを務めるボランティア学生が生まれてくることも少なくありません。