森岡孝二さんと歩んでーー43年間の追憶

 私の人生に深い影響を与えた「先達」として、三人の顔が浮かんでくる。まずは京大時代の指導教員であった尾崎芳治さん。次いで今年創立50年を迎えた基礎経済科学研究所(基礎研)の実質的創立者ともいうべき池上惇さん。最後は、基礎研の場で出会い、43年間の人生を共に歩んだ末、2018年8月1日に心不全で、亡くなられた森岡孝二さんだ。

 森岡さんは1944年3月24日の生まれだから、私より3歳年長の兄貴分。私の研究者=活動家としての生き方を創りあげる上で、森岡さんから受けた影響には、格別に重く深いものがあった。

 1960年代末からの大学改革の運動と暴力的争乱、80年代末からのソ連崩壊を伴う世界史の激動、そして90年代末からの大学・学園の新自由主義的改造の動き等々、嵐の吹きまくる時代が続いた。基礎研運動も私の歩みも、一方では理論放棄の経験主義の誘惑にさらされたし、他方では教条主義の「たこつぼ」に潜り込み、生命力を失う危険もあった。そのなかで、「生き生きした直観と基礎理論」両立の旗を掲げ、基礎研運動を正しい方向に導くうえで、森岡さんは中心的な役割を果たされた。彼の貢献がなかったならば、もっと早い段階で基礎研は解体し、沈没していたように思われる。

 まず基礎研について話そう。原型は「経済学基礎理論研究会」だったが、1975年9月に「基礎経済科学研究所」と改称した。なぜ冒頭に「基礎」という言葉を冠したのか。

 当時、池上さんや森岡さんはこう説いていた。私たち「無名の研究者の卵」たちは、「暴風に吹き飛ばされぬよう、3つの基礎=土壌に根を下ろし、雑草(あらぐさ)」のように「耐え抜く」道を選ぼうではないか。根を張った者同士が、しっかりと連帯すれば、暴風を糧として逆に雄々しく発達できるはずだと。

 第1の基礎=土壌とは基礎理論だ。当時合意されていた必読の古典には、『資本論』のほかに、レーニンの『帝国主義論』があった。これら2つの古典を深く学び、現代的に展開していくべしと提唱されていた。

 第2の基礎は、現場で真剣に生きる勤労者だった。当事者リサーチ(調査・記録)の意欲をもつ勤労者に根ざし、彼らに基礎理論の知識と論文作成のスキルを与えよう。その見返りに、彼らから「生き生きした直観能力」をもらおう。彼らの間で寄付金を募り、養ってもらおう。そうすれば、「生き生きした直観の作り出す現実感覚と基礎理論」を両立させる「民衆とともに歩む新しいタイプの市民研究者」が誕生するはずだと。戦前期に信州の上田自由大学などを支えた一群のインテリ群(たとえば高倉テルや土田杏村)がモデルとして引き合いに出された。

 第3の基礎と目されたのは、「未来の勤労者(学生)」だった。未来世代の発達要求にこたえる経済(学)教育を公教育の場でも旺盛に展開し、働きつつ学ぶ社会人の次世代を育てていこう。この作業を介して、学生の支持を得て、大学教育の場にも基礎研運動を根付かせたいと考えていたのだ。じっさい森岡・池上さんによって主導され、1975年4月に全国に発信された「経済学を学ぶ夜間通信大学院」設立の呼び掛け文には、「私たちは、夜間通信大学院の設立準備と並行して、『経済学教育学会』(仮称)を結成し、・・・・基礎研は、この新生『学会』と協力・提携関係をもっていけるようにしたい」と高らかに謳われていた。    

 爾来43年が経った。森岡さんの方がまず構想をぶちあげ、一呼吸おいて、私が構想の具体化に着手するーーそんな役割分担を長年、続けてきた気がする。

 基礎研の場での森岡さんの活躍については、友人諸兄が触れられるだろうからこれを割愛し、経済学教育学会(後に経済教育学会と改称)に限って、森岡さんの思い出を綴っておきたい。

 1976年6月に、伍賀一道さん(現在は金沢大学名誉教授)、加藤房雄さん(広島大学名誉教授)とともに私は、八代学院大学(現在の神戸国際大学)経済学部の専任講師となった。3人の就任人事の糸口を作っていただいたのは、実は森岡さんだった。学生との付き合いに四苦八苦する日々が始まった。

 懸案の「経済学教育学会」を作ろうとする動きが本格化してきた。中心的な推進者となったのは、この場合も森岡さんだった。北海道大学で開かれた経済理論学会の場を利用して、1981年9月26日に「学生実態の様変わりとカリキュラム改革をめぐる諸問題」をテーマに第1回研究討論集会が開かれ、以後、討論集会は毎年開かれるようになった。

 4年後の1985年には、「経済学教育研究会」という常設の研究会に衣替えされ、3年後の1988年には、経済学教育学会と改称された。

 当時は、米国を母国とする修正資本主義体制が黄金期を迎え、ソ連型社会主義を圧倒する勢いを示した時代であった。マルクス「資本論」を解説するだけの経済教育を展開したばあい、「ソ連社会主義の全面凋落という現実を見ぬ空論」という批判の声が教室を満たす時代であった。「学生からの不人気を押し返し、どう学生とともに経済教育を進めるのか」の検討を毎年2回の研究集会(春の合宿形式の集会、秋の学会)で続けた。

 大学での理論教育だけでなく、小学生への金銭教育や社会人の経済教育にも視野を広げようと、2003年に三度目の脱皮を行った。経済教育学会に衣替えしたのだ。爾来15年間、「市民のためのエコノミック・リテラシーの探求」をテーマとした活動を展開している。

 森岡さんには、幹事・代表幹事として、教育学会を親身になって支えていただいた。春の研究集会、秋の大会をあわせると、開催数は60回に及ぶが、うち9回は関西大学の諸施設(大学の保養施設を含む)を会場にした。森岡さんのご尽力の賜物に他ならない。

 森岡さんのやり残した課題を引き継ぐかたちで、研究教育活動を展開するとすれば、どんな課題に取り組むべきか。多様なテーマがあるだろうが、私自身は、つぎの2つのテーマに取り組んでいくべきだと考える。

 第一は現状分析の基礎理論をさらに具体化することだ。先に述べたように、創立時の基礎研で基礎理論の主軸といえば、『資本論』と『帝国主義論』であり、「資本論帝国主義論講座」を毎年開講していた。しかし1980年代後半に入ると古典の位置から「帝国主義論」はドロップし、「帝国主義論」的な視角に立った現状分析の仕事も姿を消すようになった。しかし現下のトランプ政権の動きをみると、落日の米帝国の崩落をくい止めるべく、時代錯誤の「米帝国再建」戦略が展開され、その無理が宇宙核戦争の不吉な影となって、地球を覆うようになってきた。「ポスト帝国=希望の惑星」への展望を考えるうえでも、「帝国主義論」的な視角の高次復活が必要な時代だ。

 今一つは、「ポスト資本主義」探究の旗を掲げ、自由時間の拡大をどういう活動に振り向けるべきか、どのような未来社会論を築いていくべきかという問題だ。

 このテーマをめぐって、森岡さんと真剣に語り合う機会が、2013年12月7日(土)午後に訪れた。立命の朱雀キャンパスを会場に、「グローバル市場原理に抗する静かなるレボリューション」というテーマを掲げて、基礎研の現代資本主義研究会が開催されたからだ。報告者として「菜園家族レボリューション」の共著者――彦根の山奥で里山研究庵を開く小貫雅男さんと後継者の伊藤恵子さんが立った。コメンテイターとして、大阪外大以来小貫さんとは50年来の友人の森岡さんにご登場いただいた。実際、森岡さんは2005年刊行の岩波新書『働きすぎの時代』のなかで、小貫さんの「菜園家族レボリューション」の提言を詳しく紹介されていた(同書、176-178ページ)。

 ご高齢の小貫さんの健康を考えると、これが森岡さんとの最後の交流機会になるかもしれぬという予感があり、研究会終了後、京都駅前のレストランで、内輪の夕食会を催した。小貫雅男・伊藤恵子・森岡・藤岡のほかに、大阪外大時代の仲間の林弥富さんも参加され、至福の時を過ごした。自由な時間を活用して、自然人として「謙虚に成熟」するには、どんな社会システムを築くべきかーーマルクス未来社会論のミッシング・リングを探る議論が展開された。この時の感動が鮮やかに蘇ってくる。

                           (立命館大学名誉教授)