「2023年11月29日の午後11時、田中幸世さんが自宅浴槽にて事故により逝去」されたというパートナーの発せられた情報に接し、びっくりしました。田中さんは80歳になっておられたのですね。「私(76歳)より若いはず」と勝手に思い込んでいました。
私がチューターを務めてきた「エコロジカルな人間発達を考えるゼミ」に1998年頃に参加されたので、爾来25年間の付き合いです。2005年には『人間発達ゼミ30年史――市民の経済学をめざして』という記念冊子を編集されました。その後、彼女の関心は、「社会思想史ゼミ」に移っていきますが、その間も私の定年退職記念文集『私と世界とアッちゃん先生』(2013年4月)の編集の労をとっていただきました。
燃えるような向学心をお持ちで、反骨精神が旺盛。人を組織する力に秀でた人でした。自らの学校歴や演劇歴などを誇示されることがなかったので、大学を卒えられたのかどうかも私は知りません。いずれにせよ「市井に生きる庶民」の代表として、基礎研が「頭の暴走」に陥らぬようチェックする役割を果たされてきたように思います。
鮮烈な思い出を一つ挙げるとすると、2003年9月12日―14日の人間発達ゼミのゼミ旅行のこと。近江八幡の北川さんの運転するマイクロバスに6名のゼミ生が分乗し、信州上田自由大学の旧跡などを訪ねました。天真爛漫の棟方志功のような天然人を育てようとした自由大学運動の発祥の地です。2021年が上田自由大学の100周年。その記念行事は、https://net-kyoto-online.com/archives/2790 を参照ください。
この自由大学の講師の定宿となっていた別所温泉の柏屋別荘に宿泊。東京で暗殺される数日前に自由大学講師として来訪した山本宣治のことや宣治追悼の石碑を柏屋別荘の池の底に沈めて残した逸話を聞きました。自由大学の会場を提供してきた常楽寺の和尚さん(その後、天台座主に就く)とお会いし、無言館の窪島誠一郎館長とも交流。窪島さんの描く「世界放浪大学」の夢に酔わされました。この体験が、2004年に「夜間通信研究科」を「自由大学院」に改称する刺激の一つとなりました。
2004年の「自由大学院」への改称は間違っていなかったし、今こそ「自由大学院」のバージョン・アップが求められています。それが田中さんの遺志を継承し、彼女を「永遠の生」に導いていく道だと信じます。