【書評】鈴木元 『ポスト資本主義のためにマルクスを乗り越える』かもがわ出版、2022年7月

藤岡惇

 鈴木元さんは、自己変革を恐れぬジャーナリスト。日本共産党の専従活動家を経て、母校の立命館に転職。理事長・総長室長として学園振興のために尽力した後、新自由主義に迎合する学園指導部に抗する運動の先頭に立った。
 一読、村岡到さんの主張と多くの点で接近していることに気づいた。激変する環境に誠実に対応しようとすると、自然とそうなるのだろう。

革命後のソ連と中国をどう見るか
 半封建社会から資本主義へと移行するロシア的、中国的特色を帯びた社会だったというのが著者の結論だ。それゆえソ連解体後は、ロシア民族主義者が支配する国家資本主義に、改革開放後の中国では、一党独裁の国家資本主義に移行したと著者は説くが、その見立ては正しい。ソ連解体前から一貫して「国家資本主義」だったという大西広説に追随しなかったのは賢明だ。しかし「国家社会主義」という名称を無批判に使っていることには賛成できない。一党独裁による野蛮な体制を「社会主義」の亜種とすることは、「エコ・共同体社会主義」を志向してきた評者のような者の未来社会像に泥を塗るからだ。「国家産業主義」ないし村岡氏の言う「党主制指令経済」といった名称に留めて欲しかった。

「ポスト資本主義」のコアは「高度自然社会」か
 未来社会の構想にあたって「マルクス流の共産主義」の枠に囚われるな。人類は自然の一部であり、自然の循環を乱さず、自然と共生していく共同社会を創るといった大目標を掲げるに留め、細部は実践の中で踏み固めよと著者は説く。
 評者も、未来社会の核に「高度自然社会」の実現をおいてきた。目的地は合意できそうだが、「高度自然社会」とは何であり、どのような羅針盤と哲学を用いて、人々を団結させ、歩んでいくべきかという課題については、こんごの探究に委ねられている。

原始共同体の「否定の否定=高次復活」の明示を
 この間、斎藤幸平『人新世の資本論』やノア・ハラリはじめ多彩なアナーキスト人類学者、縄文時代の探究者が、原始共同体の社会がいかに謙虚で成熟に富んでいたかを発掘してきた。人類史の99%を占める狩猟・採集時代に未来社会のモデルを求め、「否定の否定」を介して、共同体社会の高次復活を図るという志向が、著者に強くない。

健康な自然人を育てる「家族」充実の哲学
 「家族農業育成」を「個人農業育成」に置き換えるなど、共同体の高次復活の議論への深入りを避けている。また「マルクスを乗り越える」志向も強い。そうであれば、原始共同体以来の非暴力アナーキズム(協同主義)とも交流し、「宇宙主体(アニミズム)的唯物論」に掉さすガンジー、宮沢賢治、シューマッハーとマルクスとを高次統合させて欲しかったと思う。

日本共産党の組織のありかた
 全党員による党首の直接選挙や政策の多数決による決定がなされるべきだと著者は主張する。政党助成金の受け入れ、政策グループ作りの解禁といった論点も含めて、こんご討論が広がっていくことを期待したい。

    (『フラタニティ』27号、2022年9月に掲載)