【書評】人新世の「資本論」

斎藤幸平 著 [集英社新書、2020年]

藤岡 惇

本書の内容
 経済理論学会の斎藤幸平会員が書いた本書は、45万部を超えるベストセラーとなり、「新書大賞2021」に輝いた。『資本論』の解説書としては前代未聞の快挙と言ってよい。本書の意義と魅力に触れるとともに、残された課題についても提起したい。
 「人新世」とは人類が地球環境を破壊しつくす時代のことだが、破壊の勢いは冷戦後に加速し、気候危機を作り出した。資本主義の際限なき利潤追求を止め、帝国的生活様式を見直さない限り、破局が訪れ、野蛮状態に陥るだろう、と第1章は警鐘を鳴らす。
 気候ケインズ主義=グリーン・ニューディール派の限界を論じるのが、第2章の役割だ。彼らは説く。「緑の経済改革」を推進し、資本主義に修正を施すならば、経済成長(GDPの増加)を続けながら、気候危機を解決できると。これにたいして著者は反論する。もはや「二兎を追える」段階ではない。GDP減=脱成長に踏み込み、資本主義の根幹にメスを入れないかぎり、気候危機は克服できないと。
 第3章では、「4つの未来の選択肢」が提起される。①米国のトランプやブラジルのボルソナロのめざした道――市場原理を徹底させ、脱落者は排除する「気候ファッシズム」、②相互扶助も国家も崩壊し、「野蛮状態」に退化していく道、③国家強権を発動する「気候毛沢東主義」、④「脱成長のコミュニズム」の4つだ(本書、113・281ページ)。
 グリーン・ニューディールなど「修正資本主義」に向かう道は選択肢から排除されている。なぜか。気候危機がここまで深刻化した段階では、資本主義の修正程度の改革では間尺に合わぬと著者が判断したからだ。
 他方、「野蛮状態」への退化を避けるため、国家権力を総動員し、気候危機の打開と格差縮小=共同富裕に強権的に取り組むという道はありえる。習近平が推進する「気候毛沢東主義」を「国家社会主義への横滑り」と評して、③の位置に配したのはそのためだ。
 上の選択肢のなかで著者が奨めるのが④の「脱成長コミュニズム」。第4章では、その根拠が明らかにされる。
 『資本論』第1巻刊行後の1868年以降、マルクスは、エコロジーの研究に精力を注いだだけでない。太古の共同体=原始共産制の「経済成長を自制するしくみ」や共同体成員の謙虚な成熟の姿に感銘を受け、「平等な土地の割り振りを行う農耕共同体」に未来社会の原像を見出すようになった。生産力至上主義、欧州中心主義の限界を乗り越えたマルクスは、生産手段よりも地球自体を第一の「コモン」と位置づけ、自律した市民がコモンを共同管理する社会を構想するようになった。著者は言う。潤沢な「公富=コモン」を土台とし、自由時間、使用価値、ケアの豊潤さに恵まれた社会こそがコミュニズムだ。ソ連型社会とは位相を異にする「豊かな脱成長経済」をめざそうではないかと。
 第5章以降では、未来社会を築くための多様な実践が吟味される。当事者合意にもとづき、地球から生産手段へとコモンの領域を着実に広げているか、コモン管理の「市民」営化を進めているか、生産活動の水平的共同管理を広げているかが評価軸となる。
 トランプの道も、習近平の道も一時の策。「野蛮への退化」か、「脱成長コミュニズムへの前進」か、という2択にならざるを得ない時代が来た。コモンを拡大し、地域の相互扶助力を高めよう。国家権力と企業権力の暴走を封じこめるため、コモン自治のパワーを養い、「未来のための自己抑制」の主体を育てようと述べて、本書を結んでいる。

本書の積極的な意義

 かつて「ボルシェビズム」(マルクス・レーニン主義)と呼ばれる潮流があった。1) 職業革命家の指導の下、軍隊的な規律にもとづく革命党を築いていけば、資本主義の発達が不十分な地域であっても、国家権力を掌握できる。国家権力を発動し、人民を動員するならば、資本主義に負けない軍事力と生産力を築き、コミュニズム社会を建設できると説いてきたのだが、ソ連の崩壊とともに壊滅的な打撃を受けた。到達目標を失い、左翼運動「冬の時代」が続いた。
 その後、新自由主義の否定面が噴出し、気候危機やパンデミック危機など、公器=コモンの損傷と崩壊が本格化してきた。①この「人新世」の危機の構図を明らかにしたこと。②どこに向かって歩めばよいのか、新たな到達目標をクリアに描き出したことー-この2点が、本書の最大の魅力であろう。
 前著の『大洪水の前にーーマルクスと惑星の物質代謝』では、晩期マルクスのエコロジー認識への開眼に対象を絞っていたが、本書では歩を進める。最晩年期に至るとマルクスは、原始共同体の「否定の否定」=高次復活という基本線に立って、未来社会を構想するに至ったと。
 1858年時点のマルクスのように、「小生産者と生産手段の結合した状態→資本主義による結合の否定→コミュニズムによる個体的所有の高次復活」という線で、「否定の否定」を捉えてしまうと、数百年のタイムスパンの話となる。しかし本書のように捉えると、「否定の否定」の弁証法は、200万年の時空へと広がる。太古の狩猟・採集時代が、人類史の99.5%を占める。この時代の公富の発見・恵受・ケアという生存維持システムから何を学ぶべきかといった論点が浮かび上がる。ユヴァル・ノア・ハラリ『サピエンス・全史』や、ジェームズ・スコット『反穀物の人類史』、デヴィッド・グレーバー『負債論』、ピエール・クラストル(酒井隆史訳・解題)『国家をもたぬよう社会は努めてきた』、ルトガー・ブレグマン『希望の歴史――人類が善き未来をつくるための18章』(上・下)といったアナーキスト人類学者の研究とも響き合う論点だ。
 しかも著者が目指すのは、原始共同体の単純な復活ではないし、アナルコ・サンディカリズムの単純な再興でもない。創造的な高次復活こそが目標なのだ。

深めるべき課題

1.わがイノチは信託財産=コモンなのか
 「地球自体を『コモン』と位置づけよ」と著者は説く。「地球の35億年のイノチの流れ」と「わがイノチ」とはどんな関係に立つのか。誕生から数年を経て「自我」が形成され、随意筋が発達すると、脳が身体=イノチをある程度「財産」のように管理できるようになる。「そのばあい、イノチはあなたの私有財産?、それとも信託財産?」という質問を、評者は若者に発してきた。高騰する学費負担といった現実から、「イノチ=私有財産派」は増えてはいるが、宇宙・自然・社会は、わが心身の基盤ではないかと説いていくと、労働力とイノチとは別物であり、「イノチはコモン」という認識が学生の間に広がっていく。
 「無限の経済成長を断念」し、「未来のための自己抑制」を選ぶ主体を育てるには、自然・人間観の転換から始めねばならぬ。自他二元論に立ち、自然を「環境」と位置付けるか、自然主体(=アニミズム)的唯物論に立ち、自然を「基盤」と位置づけるのか。脳を中心とする天動説=唯脳論に立つのか、自然の自己組織化を中心とする地動説=唯物論の立場に立つのかが分水嶺となる。「仏陀からマルクスにいたる非有神論的『宗教性』」を培かおうと呼びかけたフロムから学べることは多いはずだが、2)著者の立ち位置は、いま一つ鮮明ではない。

2.生産=私有の領域にコモンを拡張する論理
 額に汗した勤労の産物は生産者に帰属して当然という「私有財産」の観念には、強固な土台がある。このコモンセンスに抗して、人造の生産手段の領域にコモンを拡張していく論理がいま一つクリアではない。
 自らの労働によって生産できる財は、私有できるし、その消費が反社会的なコストを生まない限りは、商品として売り出しても大過はない。しかし自然・大地、水、種子などヒト自体を生み出す「地球財」については、話は別だ。「お釈迦さんの掌のうえで踊る孫悟空」の仏教説話を使うと、「掌」にあたるのが地球財、コモンのコア部分をなす。安易に私有・商品化し、乱費すると、生命力の根源は損なわれてしまう3)
 ただし労働の生産物であっても、生存に不可欠な財貨の希少性が高まってくると、人権財としての性格をもつようになる。内橋克人は、食料、エネルギー、ケア(発達保障サービス)を人権財と位置づけ、コモンの拡張を試みてきた。宮本憲一と宇沢弘文の「コモン」観のずれも、この点に起因している。4)

3.「家族」の蘇生なくして、「脱成長の主体」は育つか
 共同体・コミューンの原型は「家族」だ。社会を形作る細胞だといってよい。一個の細胞は、「膜」、「細胞質」、「核」からなっている。膜は住居、細胞質が核(家族成員)のために栄養素を生み出す自然と生産手段だ。家族から自然や生産手段を奪うことは、細胞から細胞質を抜き取り、細胞を干からびさせることと同義だ。生産手段と大地とを奪われ、「干からびた細胞」となったのが、現代の家族の病因だ。
 家族を蘇生させるカギは何か。原始共同体時代以来の生存維持労働を復権させ、菜園を開き、発酵食品を手作りする、子育てを外注しないことで、家族なる細胞の細胞質を豊潤にすることだ。このような家族の生存維持活動に労働時間の7割を費やし、残り3割の時間を貨幣収入獲得のために使うー-週休5日制の3世代近居の菜園家族を復活させることの決定的意義を小貫雅男たちは唱道してきた。5) 盲点を衝く提起だと思うが、著者の見解を聞きたい。

4.ディープな「修正資本主義」を経てコミュニズムに至る 
 コミュニズムを著者は、「国家や専門家に依存したくなる気持ちを抑え、コモンを自治管理し、相互扶助を重視する社会」と形容している。その目標を目指し、まずは、国家と市場(大企業)の善用を取り入れた自律自治と協働にもとづく社会を作るというのが、著者の立場であろう。このような構想を、修正資本主義の段階を経て、国家と資本・市場の自然死をめざすという2段階革命の構図に組み込むことは可能だろうか。
 「気候変動の対処には、国家の力を使うことは欠かせない・・・。国家を拒否するアナーキズムは、気候危機に対処できない」(355頁)と著者は説く。レスター・ブラウン『プランB』が提唱するように、国家強権を含めたあらゆる力を総動員せずには、現下の気候危機とコロナ疫病禍の打開はできまい。「危機においては、不安な人は隣人ではなく、強権的な国家介入」に頼ってしまう(282-283頁)。それゆえ「気候毛沢東主義」の誘惑に魅せられるのは中国にとどまらない。大陸欧州諸国でも同様の動きがある(282頁)。大切なことは、市民社会と国家とが連携・協調しつつ、国家権力を善用するための条件を探究することであろう。
 社会民主党、緑の党、自由民主党によるドイツの連立新政権の「社会的エコロジカル市場経済」にもとづく構造改革の動きを、どう評価するのか。明日香壽川『グリーン・ニューディールー-世界を動かすガバニング・アジェンダ』(岩波新書、2021年)、ヴァルシニ・プラカシュほか『グリーン・ニューディールを勝ち取れ』(那須里山舎、2021年)は、資本主義の基盤上でも相当の改革は可能という見通しに立っている。グリーン・ニューディールの施策はどこまで有効で、どこに限界があるかは、試行錯誤のなかでしか確定できない。今はそのような段階ではないか。

5.「気候毛沢東主義」の行方――修正資本主義への収斂は可能か 
 いま、世界は宇宙と海洋支配をテコに米国主導の旧秩序を守り抜こうとする米英豪を軸としたブロックとユーラシア大陸を押さえ「一帯一路の新秩序」を作ることで米英の包囲網を崩そうとする中国・ロシア・中東を軸としたブロックとに分裂し、米中両覇権国の争いは、サイバー・宇宙空間の衝突から宇宙核戦争に展開する恐れがある。6) 
 中国覇権主義を制御するにはどうしたらよいのか。「共同富裕」、「人類共同体」を掲げて、習近平が推進する体制を、著者は「国家社会主義への横滑り」と評しているが、「開発独裁型国家資本主義」に向かいつつあるロシア、トルコ、イランと何が異なるのか。
 トマ・ピケッティは、こう書いている。「対中国での上策は、西洋諸国が傲慢に振る舞うことを止め、世界規模で人々に解放と平等をもたらす展望を描いてみせること。民主的で、参加型であり、環境にやさしく、ポスト植民地主義でもある、そんな新しい社会主義」を実践し、対話を深めていくことだ」と。7) 習近平の中国には、大陸欧州の「修正資本主義」運動に影響されて、「修正資本主義の中国的な亜型」に上昇していく可能性があるのだろうか。何をなすべきか。

6.「コミュニズム」とは何か、どう訳すべきか
 これまでコミュニズムは「共産主義」と訳されてきたが、著者はこの訳語に異議を唱え、「コミュニズム」という原語で通している。
どのような訳語が適切なのか。西川潤は「共産主義」ではなく、「共生主義」(コンビビアリズム)に置き換えることを提唱している。8) 
 大内秀明は「コミュニティズム」という「穏健な名称」を提唱し、9)柄谷行人はアナーキズムの伝統を継承し、「アソシエーション社会」と呼び、10)アグロエコロジーに掉さす小貫雅男は、「高度自然社会」と表現している。著者の見解を聞きたい。

7.試行錯誤の成否を吟味する「公論のコモン」を  
 『権力を取らずに世界を変える』(大窪一志ほか訳、同時代社、2021年)を書いたジョン・ホロウェイが提起したように、現代は定説のない時代。試行錯誤の成果と失敗例を持ち寄り、教訓を交流するなかでしか、危機を打開する道を見いだせない。
 そこで提案がある。先の「4つの未来の選択肢」図の両軸の交点に「公論のコモン」を設けたらどうだろうか。「修正資本主義」の枠内での改革に当面は注力せよという論者、「脱成長コミュニズム」をめざせと説く論者、気候毛沢東主義の支持者を含めて、様々な実践家が集まり、経験を交流したい。このような公論のコモンを重ねるなかでしか、未来社会像についての共通認識は深まらないのではないか。

1)存在理由については、白井 聡『未完のレーニン』講談社、2007年。
2)エーリッヒ・フロム『生きるということ』紀伊国屋書店、1977年、265頁。藤岡 惇「帰りなん、いざ豊穣の大地と海へ」、「生命史観と唯物史観の統合」(上)、いずれも藤岡
のホームページに収録。 http://eco-economy.ever.jp/wp/ 
3)中村尚司『地域自立の経済学』日本評論社、1993年、93頁。
4)宮本背広ゼミナール編『未来への航跡』かもがわ出版、2021年、12-14、39-41頁。
5)小貫雅男・伊藤恵子『生命系の未来社会論――抗市場免疫の『菜園家族』が近代を根底から覆す』2021年、御茶の水書房、51頁。
6)藤岡 惇「極超音速ミサイルの衝撃――宇宙核戦争に勝者はいるか」『世界』2022年1月号、19-22頁。
7)クーリエ・ジャポン、2022年1月20日付けネット配信。
8)西川潤、マルク・アンベール編『共生主義宣言――経済成長なき時代をどう生きるか』2017年、コモンズ。
9)大内秀明『日本におけるコミュニタリアニズムと宇野理論』社会評論社、2020年。
10)柄谷行人『ニュー・アソシェーショニスト宣言』作品社、2021年。

        (『経済理論』第59巻第1号、経済理論学会、2022年4月。一部補充)