◇「『フラタニティ』への思いと期待ーー宇野経済学との出会いの契機に」(2020年10月)

 村岡 到さんと初めて出会ったのはいつだったか、過去の手帳をたどってみた。浮き上がってきたのは、今から15年前の2005年のこと。季節は1月下旬の真夏の情景だった。場所は、地球の裏側のブラジル。第5回世界社会フォーラムが開かれていたポルトアレグレの会場の一角だった。この祝祭の場で、人懐っこく語り掛けてきた小柄な人が村岡さんであった。
 その後、村岡さんから、社会フォーラムの参加記を集めて本にしたいと呼びかけられ、村岡 到編 『帝国をどうするーー世界社会フォーラム5 日本参加者レポート』白順社に「WSFはダボス会議を変えつつある」という1つの章を書くことになった。
 原稿の執筆途上、思いもよらぬ知人から「警告のメール」が届いた。「この出版企画はJR総連に市民権を与えようとする意図に出るものだから、執筆を辞退せよ」という圧力であった。メールに説得力を感じなかったので、出版への協力を続けたが、この決断は正しかったと思う。
 その後、村岡 到編著『歴史の教訓と社会主義――ソ連邦崩壊20年シンポジウムから』(2012年、ロゴス)に「大地・生産手段への高次回帰と自由時間の拡大」という論稿を載せてもらった。ロシア革命の挫折からソ連の崩壊に至るプロセスを正当に理解するには、スターリンによって抹殺された人々の業績から謙虚に学ぶ必要があることを自覚させられた。
 仙台羅須地人協会を主宰する大内秀明さんと出会い、『日本におけるコミュニタリアニズムと宇野理論――土着社会主義の水脈を求めて』 社会評論社、2020年07月を読むことができたのも、村岡さんの発行する雑誌『フラタニティ』のおかげだ。
 わが身を顧みると、1966年に京都大学経済学部に入学した。当時の経済学部は、マルクス・レーニン主義(ボルシェヴィズム)の強い影響下にあり、「正統マル経」の牙城ともいうべきところであり、いわゆる「宇野理論」の経済学について啓発してくれる教員は一人もいなかった。そのためもあり、宇野理論については「食わず嫌い」の状態で、50年近くを過ごしてきた。
 大内さんの近著を読んで、宇野理論や労農派には土着の社会主義を育もうとする志向があり、宮沢賢治が労農派の熱心なシンパだったことを知った。大内さんは、「財産共有制」の「コミュニズム」ではなく、「コミュニティズム」という「穏健な」言葉を採用しているのも共感できる。
 とはいえ「コミュニティズム」と「コミュニズム」とは、何がどう違うのであろうか。斎藤幸平さんが、最近『人新世の「資本論」』(集英社新書)を書いた。社会の共通資産(コモン)を享受・管理する住民の統治力量が発展していけば、コミュニティがコミューンへ高度化していくという。
 地域におけるコモンの軸心は、人間のイノチを含む、動植物の織り成すイノチの流れのはず。「ウレシパモシリ」というアイヌの言葉があるが、動植物も含む地域の生命体がともに育んでいる「イノチの流れ」を調整し、育んでいく力量をどう形成したらよいのか。これがコミュニティをコミューンに高度化していくためのカギとなるのではないか。引き続き、マルクス・レーニン主義(ボルシェビズム)の負の遺産を清算し、その土台の上に未来社会論を築いていくため、必要な協力を惜しまないつもりだ。